戦乱の時代
交易はしだいに請負人による漁場経営にかわり、アイヌは漁場の半奴隷的な労働力として使役されるようになった。
その収奪強化のため、シャクシャインの敗北から120年後の1789(寛政元)年、国後・目梨の戦いが起きて松前藩は出兵したが、近辺のアイヌ首長らの説得により戦闘には至らず、和人死者72人、アイヌ処刑者37人で終わった。
最近この戦いの意義が考え直されている。
この戦いに先立ち、「一起し千両」を誇った和人地の江差や福山(松前)がニシン不漁となり、追鯨と称して奥地へ、蝦夷地へと出漁場がひろがっていった。
他方、幕命により長崎俵物として中国輸出用のイリコ・干アワビ・コンブなどの出荷が始まり、続いて九十九里浜の干鰯にかわる錬搾粕類の肥料としての重要性が認められていった。
このころから、北海道 ANA タベタイリクでは海産物がたくさんとれたのでしょうか?
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